対極にあるもの

「音楽は戦争の対極にある」

ある人がそんなことを言ってたと、リラクシンズのメンバーから聞いた。

とっさに、それは何だか危険なんじゃないかなあ、という反発を感じた。

音楽は戦争に使われてきたし、音楽は人を扇動する力があるじゃないか。音楽は人の心を動かして、行動に駆り立ててしまう。

文脈から切り離して何か物を言うのは反則だ。きっとその人は音楽だけを美化するようなことを言いたかった訳ではないと思う。実際、聞いてないから想像でしかないけど。

それから、何となくモヤモヤとこのことが頭に残って、考えていた。音楽は戦争と隣り合わせにあるのかな?頭の中に音楽と戦争の二つの色を描いて、ボーダーラインを引いてみる。うーん、よく分からない。なんだこの図は。

だんだんと、戦争と対極にいられるものなんて何もない、という考えが芽生えてきた。全部が繋がっているという発想。暴論。でもそういう風に注意深く考えてみることも必要なんじゃないか?戦争を生み出してしまったモノをずっとずっと辿っていけば、どこかでブチ当たってしまうような気もする。音楽はそのグラデーションの一番遠くにある物かもしれないし、オセロの表裏みたいに簡単に裏返ってしまう物かもしれない。戦争じゃなくてもっと身近なことでも、そんな危険は存在する。そして注意深い人ほどきっと身動きが取れなくなる。悲しい。

ふかふかのマットの上で皿いっぱいレタスを呑気に頬張りながら、身勝手な考えはどんどん飛躍してしまう。

ふと、ところで対極ってどういう意味だったっけな?と思って調べていると、とても重大に思える発見をした。

磁石のN極とS極を想像すると、そこに磁力が見えてくる。大事なのは赤と青の色分けじゃなくて、磁力の向かっていく方向性だ。方向性!極とは方向性を含んだ言葉なんじゃないか!

何かが何かの対極にある、という時、それはただグラデーションの両端やオセロの裏表のような位置関係を言ってるのではなく、逆向きの方向性を持ってるってことを言いたいんじゃないか。そう言えばそうだった気がしてきた。対極は反対とは言い換えられない。

だから、音楽は戦争と対極に向かうべきだ、そういうことなんじゃないだろうか。結局、ある人は何枚も上手だったわけだ。

photo by 浜村晴奈